ペットロスが辛すぎて、何をみても聞いても立ち直れず
スピリチュアルなことも信じていいのかわからないし、
なんだか少し怖いような気もする。このように悩んだことはないですか?
また、スピリチュアルなことは非科学的であるし、なんだか宗教じみていて
よくないことのような気がするという人も多いと思います。
実は、スピリチュアルを不審に思ってしまうのには、ある決まった原因があるんです。
この原因が分かれば、スピリチュアルを信じてみてもいいかもしれないと思えるようになるのですが、これを知らずに 悩んでいる人も多いです。
そこで今回は
『ペットロスでスピリチュアルを信じてもいい理由3選』
ということについて解説していきます。
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この記事を読むことで
1、スピリチュアルを信じてもいい理由がわかり
2、スピリチュアルを少しは信じてみようと思えるようになるので
ぜひ最後までみていってくださいね。
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まず初めに、身近な者の死に直面すると、人はスピリチュアルを信じることで心の拠り所を見つけようとします。
今までは非科学的、非現実的なことには全く関心を持たなかった人であっても、
自分の死を宣告された時や、大切な者の死を目の前にしたとき、
目には見えない不思議な力を信じたいと願い、そんな心の拠り所に頼ってしまいたくなることは正常な心の反応とも言えます。
今回の解説では、スピリチュアルを科学的に解明することは難しくても、
スピリチュアルを信じたいけど信じられないと思っている方でも、
少しでも心の拠り所となるものを見つけて、ペットロスの苦しみから解放されることを目的に解説していきます。
私自身は、スピリチュアルを否定も肯定もしません。
ですから、信じないという人に信じた方がいいというお話では決してありません。
私自身はスピリチュアルに関しては、半信半疑な気持ちを持っています。つまり、信じきれなくとも信じたい気持ちは持っているということです。
しかしスピリチュアルから得られる効果やメリットが実際にあることは科学的に説明ができます。
それでは早速本題に入っていきます。
ペットロスでスピリチュアルを信じてもいい理由
目次
1、医療分野でも大きく活用されているから
皆さんは科学や医学の論理とは異なる世界観を生きる、
いわゆる「スピリチュアル系」が、医療分野にも広がっていることをご存知でしょうか?
「科学的根拠」を重視する立場にある人は、「スピ系」という言葉を批判的に使うことも多いのが実情です。
しかし、スピリチュアルは非科学的であるが故に不必要であると切り捨てていいのか?と医療現場においてもスピリチュアルなケアの重要性については話し合われてきているのです。
生と死を扱う医療とスピリチュアリティが結びつくのは今に始まったことではありません。
近代の医療では、多くの研究結果やエビデンスを元に、かつて救えなかった命を救い、人の寿命を延ばしてきました。
しかしその一方で、「病気を診て人を診ない」という、多くの不満を育ててきたこともまた事実なのです。
その究極の場面が、科学では説明しきれない「死」に対するケアであるスピリチュアルということです。

例えば、
入院中の一人の患者さんがとても可愛いワンちゃんの写真を額に入れて床頭台に飾っていました。看護師の私は「可愛いわんちゃんですね」と話しかけました。
すると入院生活のストレスでずっと元気がなかった患者さんに笑顔がみられました。
「ワンちゃんのことを聞かせてもらえますか?」と尋ねると、
その方は、嬉しそうにワンちゃんとの出会った時のこと、いたずらっ子なところ、食いしん坊なところなど嬉しそうに話されました。
人からすれば意味のない写真であっても、
人からすれば特別ではない普通の犬であっても、
その方にとっては、その写真が、そのワンちゃんの存在が生きる源泉であり生きがいなのです。
このように、スピリチュアルというものは、極めて主観的であり、
客観的、合理的な事柄ではないことがわかります。
医療現場での治療方針は、極めて論理的かつ合理的でありますが、
人間の心はそれぞれに価値観が異なります。
病気をしたら体だけが病むのではなく、心も体と同じように病んでしまいます。そうした時、心のケアを行っていく上で、スピリチュアルなケアは非常に患者さんの心の支えとなるのです。
このように、昨今医療におけるスピリチュアルケアは非常に重要視されてきていることからも、スピリチュアルは非科学的であるから不必要とは言い難いということがわかります。
スピリチュアルは、人生において解決し難い出来事に直面した時、
生きる拠り所となり、生きる希望につなげてくれる役割を果たしてくれます。
スピリチュアルとは、人生の意味や価値観を客観的なところに求めるものではありません。
非合理的であり、全く主観的ではありますが、当人にとってはそれが絶対的であり意味のあることなのです。
あなたがもしも、ペットロスに苦しんでいる中で、
スピリチュアルな観点は非科学的であるがゆえに信じたくとも信じることができないのであれば、
信じるべきことは、必ずしも合理的である必要はないと思うようにしてみてはいかがでしょうか。
2、人間の能力には限界があるから
スピリチュアルとは、目には見えない非科学的な解明されていない世界観であるため、怪しい、胡散臭い、宗教的なイメージがあるかと思います。
ただ、全く信じないかというとそうではありません。
なぜなら、人間の能力には限界があり、自分が認知できなものは全て否定すると言うのも違う気がするからです。
また、今までに当たり前に正しいと言われてきたことが実は誤りであったと言う事例もたくさんあります。
例えば、傷口に消毒が当たり前と言われていた時代もありましたが、今では医療現場において傷口に消毒液は禁止されています。
このように、当たり前と信じてきたことが、実は間違っていたと言うことは日常茶飯事に起こりうるわけです。
さて、人間の能力には限界があると言う話に戻りますが、人間の感覚機能には限界があるため、もしも神が存在したり、霊がそこにいたとしても気がつけなくて当然であるという話をします。
例えば、ハエを叩こうとすると、いかに相手が自分より素早いか実感します。
人間の動体視力は、平均的にみると静止視力1.2の人の動体視力は,
時速50kmで視力0.7に,100kmで0.6に低下します。
つまり、速すぎる物体は人間には見えないのです。
また、小さすぎるものも見えませんし、人間の視力には限界があるということです。
次に聴覚です。人間の聴覚には限界があり他の生物と比べても聴覚は優れているとはいえません。
なんとイルカと人間の聴覚の差は7倍とも言われており、
いかに人間の感覚機能には限界があるのかがわかります。
イルカの音を聞き取れる周波数の範囲は、ヒトが20ヘルツから20キロヘルツなのに対し、イルカは数百ヘルツから150キロヘルツ程度と幅広く、超音波を聴き、発することもできます。
また、イルカほどではありませんが、犬や猫も人間よりも遥かに聴力が優れていることはご存知かと思います。
このように、人間の視力や聴覚には限界があります。
もしもスピリチュアルな世界があったとした時に、
その世界はとても高速な光でしか見えないものかもしれないし、
とても周波数の高い高音領域でしか聞こえない音を発している可能性があることを否定できないということです。
また、神など信じないという人がいたとします。しかし、実は神様は光の速さで移動し続けていたり、超音波の領域で言葉を発していたら私たちには確認することはできません。
ですから、自分自身が目で見て耳で聞いていないから信じないという主張は、自分の能力だけの物差しでしか物事を考えることができていないため、可能性を狭めていることにもなりかねないということです。
このように、人間の感覚機能は他の生物と比べても低いことがわかるため、
もしかすると、そのような世界は存在するのかもしれないと、
だから信じてみてもいいのかもしれないと、
思うこと自体は、個人の自由なのではないかと思います。
私たちには聞き取れない遠くの音も、あなたのペットには聞こえているかもしれません。
また、インスピレーションが突然働く瞬間が誰しも経験されたことがあるのではないでしょうか。そんな時は、第六感が働いているのかもしれません。そんな第六感を感じた時は、その意味を自分なりの解釈で構わないので考えてみるのもいいかもしれません。

3、生命を支えるものは合理的なものばかりではないから
皆さんは、アニミズムという言葉をご存知でしょうか。
アニミズムとは、一般的には生物、無機物を問わず全ての物の中には霊が宿っているという考え方で、アニミズムは幼児期の成長過程にも見られます。
典型的なものとして、生命のないおもちゃや車などの物に生命や意思があると考える心理作用のことです。
幼児期の成長過程でも、このアニミズムはみられるため、皆さんも必ずこのアニミズムの感覚は体験したことがあるのではないでしょうか。
例えば、このアニミズムを親が子どものしつけなどに活用する場合があります。
積み木遊びのあとにちらばっている積み木を指差して、
「ほら、積み木さんがバラバラで泣いてるよ。ちゃんとお片付けしてあげましょうね」とか、「あれっ、ピーマンくんが残ってるよ。早く食べてって言ってるよ」などと、物を擬人化してしつけを行う方が、子どもに伝わりやすくなり理解しやすいのです。
幼児はそう言われると、あわてて片付けたり、食べたりします。
このアニミズムはスピリチュアルな観点からも非常に重要な思考といえます。
本来アニミズムは幼児期だけの感覚で、大人になるにつれてこの思考は弱まっていくと言われています。
幼児期の成長過程の段階で必ず体験するのには、もちろん人間として生まれた以上何かの意味を持っているとは思いませんか?
実はこのアニミズムですが、大人になった私たちにも全くないわけではないのです。
例えば、私たちは日常性に縛られながら生活する中で、時には 非日常性を求める行動を起こそうとします。
旅行などもその1つで あって、旅行は日常性から離れて非日常の世界を求める行為でもあります。
近年の旅行ブームは、人々がそれだけ強く非日常性を求めていることを物語っているのではないでしょうか。
アニミズムの特徴には、自然との同一化・一体化、自然に 溶け込むこと、自然と合体することなどの表現される行為があります。
旅行という行動は、非日常の時間と空間でもあり、感性に働きかけたり、情動が揺さぶられたりといった、普段は体験 できない躍動した感情や心休まるひと時にもなります。
美しく咲いている花に心打たれ、花に語りかける行為がさらに「癒される」という情動体験となるわけです。
このように人は日常・非日常あるいは現実・非現実の間を行き来しながら生活しているということがわかります。
旅行以外にもアニミズムについて例をあげると、漫画やアニメに登場するキャラクターが現実には実在しないことをわかっているのにそのアニメに感動したことはないでしょうか。
アニメは非科学的で不合理であることも理解しているにも関わらず、臨場感や現実感がそこにはあって、主人公に感情移入したり、感動して涙を流すこともあると思います。
例えば、ジブリにでてくる千と千尋の神隠しやトトロなどをみると、映画に引き込まれてのめり込まれると思います。
これは、多くの大人たちにアニミズムの感覚が残っているということがいえます。
人間の歴史からも、合理性や論理性、科学性とは対極的な宗教や信仰が、どの地域や民族においても歴史の中で生まれて きたことを考えれば、アニミズム思考が人間には必要な思考の一つであり、感情や情動の一側面であることが言えるのではないでしょうか。
アニミズムとスピリチュアルは少し別のものではありますが、このような非科学的な観点からみると、
両者には共通する部分が多くあると思います。
このような点からも、スピリチュアルを信じることは必ずしも間違ってはいないのかもしれないといった、
スピリチュアルを信じてみてもいいかもしれないと言う理由になるのかもしれません。
心の拠り所を見つけるには、必ずしも論理的である必要はありません。あまりにもスピリチュアルの世界にのめり込むことは心理的にも経済的にもあらゆる面からリスクを伴うかもしれませんので、のめり込みすぎるのにはおすすめはしません。
しかし、自分が信じたいことを信じることで、少しでも心が楽になるのであれば、それが前向きになるためのエネルギーにもなります。
エビデンスや科学的根拠など、難しい話は置いておいて、あなたの心の拠り所を信じてみるのはいかがでしょうか。きっとペットはあなたのそばに今もいて、あなたのことが大好きだからそばで寄り添って甘えているのではないかと思います。
信じるか信じないかは自分が決めることと思います。少しでも前向きになれることを応援します。

まとめ
それでは、本日のまとめです。
今回は『ペットロスでスピリチュアルを信じてもいい理由3選』
ということについて解説しました。
1、医療分野でも大きく活用されているから
2、人間の能力には限界があるから
3、生命を支えるものは合理的なものばかりではないから
この3つを紹介しました。
スピリチュアルを信じたいと願っていた方は是非このお話を参考にしてみてください。
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